株式会社三木組

誠実さその歴史

誠実さその歴史 History of Sincerity

POLICY
三木組の創業は明治42年まで遡ります。日本が近代国家として発展していく中、激動の大正・昭和を経て、平成へ。
現代に至るその歩みは、決して一足飛びに成長を続けてきたわけではありません。
しかし、常にお客様と歩みを共にし、時に苦境を乗り越えてきたことは三木組にとって大きな誇りです。
これから先の100年も三木組は堅実に一歩一歩、未来を切り開くのです。
1909年(明治42年11月) 三木賢太郎 三木組創業
1952年(昭和27年) 尼崎営業所開設
1953年(昭和28年) 大阪市東淀川区元今里南通
(現 淀川区田川)に株式会社三木組設立

三木賢太郎 代表取締役会長就任
三木 亮  代表取締役社長就任
資本金200万円、従業員32名
完成工事高3,100万円
建設業 建設大臣登録
1957年(昭和32年) 十三工作所開設
1958年(昭和33年) 大阪建設業協会入会
1959年(昭和34年) 徳島営業所開設
1961年(昭和36年) 大阪商工会議所入会
1962年(昭和37年) 資本金1,000万円に増資
1963年(昭和38年) 一級建築士事務所設立
1964年(昭和39年) 建築業労働災害防止協会入会
1969年(昭和44年) 摂津機材センター開設
社内報「ミキニュース」創刊号発行
1971年(昭和46年) 資本金4,200万円に増資
1973年(昭和48年) 三重営業所開設
吹田営業所開設
1975年(昭和50年) 資本金6,700万円に増資
1976年(昭和51年) 三木商事株式会社設立
本社社屋完成(現社屋)
1982年(昭和57年) 千里山ロイヤルマンション
第一回大阪都市景観建築賞 大阪府知事賞を受賞

西宮営業所開設
三木 亮 代表取締役会長就任
三木 哲彦 代表取締役社長就任
資本金1億20万円に増資
1989年(平成元年) 淀川工業会入会
1991年(平成3年) 本社社屋増築工事完成
1993年(平成5年) 資本金1億5,000万円に増資
2001年(平成13年) 三木建装株式会社設立
2003年(平成15年) ISO9001認証取得
2009年(平成21年) 創業100周年を迎える
2011年(平成23年) 三木 哲彦 代表取締役会長就任
三木 康資 代表取締役社長就任

歴史

全ては三木家再興への誓いから始まる

創業者である三木賢太郎は明治19年(1886年)11月1日に父・貞次と母・マツの間に生まれました。代々宮大工の家系でありましたが、賢太郎の生誕前には家業も衰退の兆しを見せており、野良仕事で生計を立てている状況でした。日露戦争さなかの明治38年(1905年)に、一家は生活の拠点を大阪・西九条へ移すことになります。
賢太郎が三木組創立の年としているのは、明治42年(1909年)。実際に自らの手で看板を掲げて働いていたわけではありませんが、賢太郎が家業を手伝いながら、『新生・三木家』の再興を誓ったのがこの年であったと伝えられています。また時を同じくして、西野田職工学校夜間部(現・大阪府立西野田工科高等学校)へ入学し、『町大工』としての技能を学びました。
大正5年(1916年)、賢太郎は十三に移転。不況から両親の元を離れ就職し、友人の紹介で、大阪電気製造株式会社の専属建築業者で世話係として工事責任を担当することになります。その後、上司の計らいもあり、大正7年に三木組として独立。現在にもつながる三木組の歴史が始まります。

全ては三木家再興への誓いから始まる

安定・成長・危機を経験した激動の時代

第一次世界大戦後の不況の中、三木組は現在まで取引を続けている大阪変圧器株式会社(現ダイヘン)の傘下に移ります。結果、製品の梱包をはじめ、工場の補修、その他雑用を受け持つことになり、三木組は当面の仕事が約束され、安定路線を迎えることになります。大正13年(1924年)には、大阪変圧器の新事務所を建設。大阪で初めての大規模新築工事であり、完成時には三木組の社員が神輿のように一斗樽を担ぎ、同事務所の支配人の家まで練り歩くほどの喜びようだったと伝えられています。年号が変わり、昭和9年(1934年)、三木組は正式に十三の地に本拠を構えるのでした。
そして昭和16年(1941年)に太平洋戦争が勃発。戦況が悪化する昭和18年には、民間用の電力供給は制限されることになりましたが、大阪変圧器株式会社が軍需工場に指定されていたため、その出入り業者である三木組は電力仕様の特典が認められます。その結果、停電の最中も製材機を使い木材加工することが出来ました。昭和19年(1944年)には代表者が三木亮へ交代し、戦時下の中、ダイヘンの仕事に協力していましたが、翌年終戦を迎えます。同時に工場の生産は停止し、三木組も一時的に仕事の引き合いがなくなり、まさに存亡の危機を迎えることになります。

戦後の復興と共に、総合建設業への道へ

3年間の苦境の後、昭和23年(1948年)に神崎製紙株式会社の出入り業者として指定されます。製紙機械に関する作業は、それ以前に経験がなく不慣れながら、継続を見込める仕事として大変重宝することになりました。さらに昭和25年の朝鮮戦争による好景気による受注増大や、同年に起こったジェーン台風により被害を受けた工場の復旧作業の要請などにより、ようやく三木組は戦後の安定に入っていったのです。
そして、昭和28年(1953年)、人員の拡充と共に株式会社として三木組を設立。10月には建設大臣登録を完了し、他府県での仕事も認められるようになります。その後、工場建設や社員寄宿舎を相次いで受注するようになり、昭和33年頃までに総合建設業としての原型が形作られていきました。
昭和34年(1959年)には、徳島営業所を開設。昭和30年~40年にかけて、建物の高層化にともなって作業の機動化を推し進め、施工技術が向上し、より大規模で難度の高い工事が可能になります。翌年には、富士電波工業株式会社から新社屋と工場の設計・施工を受注。木造ながら新規の社屋、工場の企画・設計は三木組にとって初めてのことで、新工法を用いて完成させ、その後も増改築を請け負っていくことになります。この時期には、このような社屋や工場の他に社員寮、厚生会館など相次いで手掛け、技術革新と共に三木組は飛躍的に成長していくこととなりました。

戦後の復興と共に、総合建設業者への道へ

世代を越え、確固たる基盤を築く

昭和40年代に入り、小学校舎の建設を中心に官公庁の建物を手掛けるようになり、その後も安定して受注が推移していきます。また昭和45年(1970年)には三木哲彦(現・会長)が営業部に着任。昭和49年(1974年)には創設者である三木賢太郎が逝去し、同年、哲彦が取締役に就任し、三木組にとって一つの節目となる時期となりました。
翌年には川鉄商事株式会社の分譲マンション『ロイヤルシリーズ』を受注し、三木組にとっては記念すべき工事になります。中でも、昭和52年に受注した千里山ロイヤルマンションは、第一回大阪都市景観建築賞 大阪府知事賞を受賞。土地買収・近隣対策から行い、18ヶ月に及ぶ大型工事でした。景気低迷の兆しが現れた昭和50年代は、このようなデベロッパーとしての役割や、継続発注を見込める官公庁に営業の主眼が置かれることになります。昭和57年(1982年)、三木亮が代表取締役会長に、三木哲彦が代表取締役社長に就任します。
昭和50年代を終えた後も景気の先行きは不透明で、業界の情勢は険しいものとなります。三木組は施策として、100%受注産業から、開発営業と銘打った「工事を作り出す」戦略で成果を上げます。また、この時期には、徹底した安全管理に関する変革が行われます。それまでの問題点の改善や管理専門部会を設置、集中的なパトロールの実施など精力的な運動が展開されました。そして、三木組が創業80周年を迎える年に、長い昭和が終わることになります。

世代を越え、確固たる基盤を築く

世紀を越えて、誠実な挑戦が未来へつづく

平成の時代を迎え、重点目標として取り組んでいた開発営業は徐々に身を結びはじめ、継続のお客様へと発展するケースも見られるようになります。平成2年(1990年)には、『ロイヤルヒルズ箕面』が20ヶ月の工事の末、完成。山の斜面に共同住宅を放射状に配したユニークな物件で、ハイレベルな技術が求められる一件でした。さらに平成3年(1991年)、『ロイヤルヒルズシリーズ』として『ロイヤルヒルズ三田』を受注します。受注金額20億5,000万円は、三木組の長い歴史の中でも、単一施工の中では最高金額のものとなりました。
平成7年(1995年)に、未曾有の被害を与えた阪神淡路大震災が発生。三木組でも震災被害の対応に当たるため災害復興対策本部が設置されます。またその後数年は、震災で被害に遭われたお客様から、建替えや改修工事を多く受注していきます。平成9年(1997年)には分譲マンション事業へ積極的に参入。平成15年(2003年)にはISO認証を取得します。受注量・利益確保や業務の見直しによる収益の改善を目標とする3カ年計画を達成し、平成21年(2009年)には創業100周年を迎えることになります。
そして平成23年(2011年)、三木哲彦が代表取締役会長、三木康資が代表取締役社長に就任します。介護施設など新しい分野への挑戦や自社でプランニングを行う新規事業にも積極的に乗り出し、21世紀に相応しい三木組へとその歩みを確かなものにしているのです。
1909年の創業以来、戦争や経済危機など幾多の困難を乗り越えて、地域に根ざした発展を続けてきた三木組。次の100年も『顧客第一主義』の下、誠実にお客様のご期待に応え続けるご提案をしていきます。

世紀を越えて、誠実な挑戦が未来へつづく